Nutrakey×King湯浅選手 スペシャルインタビュー

king湯浅選手スペシャルインタビュー
2019年10月にNutraKeyアンバサダーに就任したKing湯浅こと、湯浅幸大選手。
ボディビル、フィジーク大会では数々の賞を受賞。
2019年 Amateur Olympia Chinaで優勝し、日本人4人目のIFBB Proフィジーク選手に!!!
今回は、King湯浅選手がボディビル・フィジーク競技に出会ってからの道のりや普段のトレーニング、
今後の目標についてお伺いいたしました。
湯浅幸大(ゆあさ ゆきひろ)
日本人4人目のIFBB PROフィジーク選手 / パワーハウスジムトレーナー
【戦歴】
2017年:Arnold Classic Ohio 優勝
2018年:Muscle Contest 優勝
2018年:Olympia Amateur Lasvegas 優勝
2018年:Olympia Amateur India 優勝
2019年:NPCJ Japan Open 優勝
2019年:Olympia Amateur China 優勝
2019年:IFBB Japan Pro 6位(日本人1位)

ボディビルを始めたきっかけ、フィジークに転身した理由

― ボディビルを始めたきっかけと、フィジークに出場するようになったいきさつをお聞かせいただけますか?

湯浅フィットネスクラブで働いていた際、当時の上司がボディビルの大会に出ており、誘われたのがきっかけですね。
最初は断っていたのですが、上司がいろんな方々に「ボディビルの大会に出場します」と言い続けているものですから、結局、出場せざるを得なくなりました(笑)。

東京都の大会は大きく3つあり、東京オープンボディビル選手権大会、東京クラス別ボディビル選手権大会、東京ボディビル選手権大会があるのですが、 まずは登竜門なところで「東京オープンボディビル選手権大会」に出場することになりました。2008年24歳の時のことですね。 「東京オープンボディビル選手権大会」は、芸能人のなかやまきんにくんや、オードリーの春日さんが出場していた事で有名な大会です。

その後しばらくして2014年にミッドブレス(パワーハウスジムの前身)に入会。
パワーハウスジム代表の堺部さんから「大会に出場しないか?」と声をかけていただき、「東京クラス別ボディビル選手権」に出場し優勝しました。

翌年の2015年に「ミスター東京大会」に出場する予定でしたが、仕事の都合でトレーニングの時間も取れず悩んでおりました。
そんな中、フィジークの第一回東京大会が開催されるという情報が耳に入り、当時のフィジークはボディビルに比べて身体をあまり絞らなくてもいいという情報を受け、「東京選手権メンズフィジーク」に出場し優勝しました。

その後は全日本大会に出場し2位。翌年アジア選手権の日本代表として出場し2位をいただきました。自分がどこまで通用するのか挑戦したくなり、世界選手権に出場してみたいのもあって、そこからずっとフィジークを続けています。

― 初めてボディビル大会に出たときは緊張されましたか?
湯浅全身の筋肉に力を入れっぱなしの状態が続くので緊張している余裕はなかったです。ポージング慣れしていないとメチャメチャきついんですよ(笑)
― ボディビルに決まったポージングとかあるのですか?
湯浅はい。ボディビルには審査に必要な既定の7ポーズがあって、皆さんそれを練習するのですが、最初はポージングしているだけで、筋肉痛になったものです。ポーズがしっかりしていないと筋肉があっても評価されないんですよ。
― ボディビルは筋肉に力をいれながらも正しいポージングもしなければいけない過酷な競技なんですね!
湯浅そうなんですよ。いくら筋肉がすごくても、正しい形でポーズがキレイに決まってないと上位には入れません。ポージングでいかに良く見せるかが重要なのです。
― ちなみにフィジークはどうなんでしょうか。
湯浅フィジークですが、(ポスターを指をさし)このポージングの場合、腹筋にしか力を入れてないんですよ。それ以外は割と力を抜いてリラックスしているんです。 力を入れるべきところとそうでないところのコントロールだけでなく、顔の表情もさわやか笑顔を意識しています。ポージングについては団体により異なりますが、僕が所属している団体の規定のポーズは2ポーズ(フロント・バック)しかなく、 そこで勝負が決まってしまいます。
ボディビルの場合は全ての筋肉に力をいれなくてはならないですし、ポーズも7つあるので、ある意味ボディビルの方が楽なのかもしれません。

思い出深い大会について

― ボディビル・フィジークで数々の賞を受賞されていますが、その中で思い出深い大会はありますか?
湯浅どれも思い出深いです(笑)はじめて大会に出たとき、世界大会に出たとき、プロになってから大会に出たとき・・・それぞれ思い出深いです。
― 一戦一戦で思い入れがあるのですね。あの時辛かったなぁというのは無かったのですか?
湯浅連続して優勝していて、その次の大会で初めて2位になったときは悔しかったですね。今はもう悔しいとかはないのですが。
― それは何故?
湯浅ジャッジ(審査員)の方の好みや主観があるので、悔しいとかはあまり感じません。一生懸命身体を鍛えているので、また次頑張ろうと。

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